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『秋月律子の挑戦・ステージ2』(アイマスSS)

アイドルマスターのSSを公開します。
『秋月律子の挑戦・ステージ2』という、律子視点でりつみき・みきりつな内容です。

前回『ステージ1』から随分と間が開いてしまって、ほんとすいません。

今回のあらすじは、美希に振り回される律子小鳥さんが優しく励ましてくれるとってもハートフルなお話……の予定だったのですが、あまりにも長くなり過ぎるということで、やむなく小鳥さんとの絡みだけに絞りました。ですがそれでも約22KBと無駄に長いです。ごめんなさい。

それとSSとは全然関係ないんですが、SSの目次を久々に更新しました。最近ずいぶん携帯やスマホで訪問される方が増えたみたいなので、そちらの方々にも多少は優しい構成になったのではないかと。どうでしょうか。

それでは、お楽しみくださいませっ!
『ステージ1』より続く)



 『秋月律子の挑戦・ステージ2』



 ──賢愚は誰の中にも併存する。

    ◇  ◆  ◇

 今日のスケジュールをあらかた消化し終えたとはいえ、それはあくまでこの弱小プロダクションに所属するアイドルたちにとっての話である。私たち事務方にとっては、むしろこれからが一番忙しい時間帯だ。こなすべき雑務に無数にある。営業日報、請求書に領収書、明日以降のアイドルたちのスケジュール確認、新たな仕事の日程調整、などなど。場合によっては様々なトラブル処理まで押し付けられることさえあるのだ。いったい空に輝く星の数とどちらが多いか、一度比べてみたいもんだわ。

美希、ほら美ー希。もうみんな帰っちゃうよ」
「むにゅ……もうそんな時間なの、おにぎりさん?」
「ええと、私は春香だから。おにぎりさんじゃなくて」

 どこかかみ合わない少女たちの会話が交わされるのを背中越しに耳にして振り返る。ひとりはうちのプロダクションのアイドルの天海春香だった。子どもの頃からアイドルになるのが夢だったと公言する、いつも笑顔が絶えることのない現役女子高生である。もうひとり、重たげに頭をもたげたのは、レッスンから帰るなりそのまま打合せスペースのソファーで爆睡していた星井美希である。その彼女こそが目下、私の最大の頭痛のタネなのだが。

「ほら美希、あんまり春香を困らせないで。それから明日は9時からボイトレだからね。くれぐれも遅刻しないようにするのよ」
「えーっ。そんなの早すぎだよ。律子、さん」
「なんなら私が起こしに行ってもいいんだけど。美希、さん」
「は……はは。そ、それだけは勘弁なのー」

 よくいえば自由、悪くいえば緩すぎる。それが美希の最大の長所でもあり、同時に短所でもあった。オーディションでかいま見せたあの眩いばかりの才能は、残念ながら未だに目に見えるほどの形を成していない。それはひとえに当の本人から「努力」という概念がすっぽり抜け落ちているためだ。

 ──美希ねー、なるべく楽してアイドルになりたいのーっ

 契約の時、初めて引き合わせた社長の前でこんな放言をブチかまし、関係者一同を唖然とさせたのも記憶に新しい。その後もレッスンに遅刻や無断欠席を繰り返し、担当プロデューサーもかなり手を焼いているようだった。

 万事がそんな調子だから、上下関係という概念もかなり怪しい。先輩アイドルたちに対しても基本タメ口だし、名前さえ呼び捨てである。私に対してまで「律子」などと呼びかけてきたときは、思わず私もブチ切れて雷を落としたものだ。さすがにそれだけは忘れられないのか、それから私に声をかける時は「律子、さん」というなんとも微妙な呼び方をしてくる。

 今のところは仕事らしい仕事もほとんどないからまだいい。しかしもし本格的に芸能活動を開始して、大御所あたりに呼び捨てやタメ口なんて無礼をやらかしたとしたら……。下手をすると美希自身はもちろん、このプロダクションと所属アイドルたちもまとめて芸能界から永久追放されかねない。それだけは絶対に阻止しなければ。

 それでなくても、いくら才能があるとはいえ、ただそれだけでは生き馬の目を抜く様な芸能界にデビューし、アイドルとして活躍し続けることは難しい。才能だけに頼らず、しっかりと基礎を固め、長時間かつ連日連夜の活動にも耐えられるように。そうでなければいずれ身体を壊すか、実力不足で仕事をこなせなくなってしまうのは確実だ。

 持って生まれた才能と強運だけでは、一度や二度の奇蹟は起こせても、それだけで終わりだ。ウサギとカメの寓話を持ち出すまでもない。どんな天才も、地道な努力を重ねる秀才には、たとえ100メートル走では勝てても、マラソンでは勝利どころか完走もおぼつかないものだ。

 ありあまる才能を持ちながら、それを生かし切れず消えてしまう。その手の話はこのアイドル業界にだって掃いて捨てるほど転がっている。せっかく見出した美希の才能を、私は心の底から信じてた。だからこそ、なのである。心を鬼にして口うるさく指導するのは。

「それじゃあ、お疲れ様でした」
「お疲れさまなのー」

 そんな私の葛藤を知るはずもなく、相変わらず明るさを絶やさない春香と、能天気な美希の挨拶が事務所いっぱいに響いた。

「はい、お疲れさま。夜道は危ないから気をつけるのよ」
「はーい」

 彼女たちが生返事を返した瞬間、刺すような視線を感じて思わず振り返る。発信源は誰あろう美希だった。まるで羨望と諦観が入り混じったような複雑な表情を浮かべている。だがそれも一瞬の事。再びあの誰もが心を奪われそうになる、天使のような笑顔を浮かべた彼女はきびすを返すと、そのまま事務所の外へそそくさと姿を消してしまった。

 ──まただ。

 ごくたまにだけど、ふと気づくと美希があんな顔で私の事を見つめていることがある。それも一度や二度ではない。レッスンの休憩のときとか、お昼寝の合間とか、こうして帰る時とか。だがそれを問いただそうとする前に、彼女はそのなんとも形容しがたい表情を、いつもの笑顔の下へ押し隠してしまうのだ。

 いったい何を意味しているのだろう。普段あれほど思ったことを片端から喋りまくる彼女に秘められた、あの表情は。それが小さなトゲのように、私の心をチクチクと痛めつけるのだった。

 ──賢愚は誰の中にも併存する。

 仮にもアイドルを志した人間であれば誰もが羨むであろう才能と、まるでそれを生かそうとしない怠惰な面を併せ持つ少女。それが星井美希なのだ。それにしてもなんだろう、先ほどの謎めいた視線の意味は。

 やはり何を考えているのか、さっぱりわからないわ。あの娘は。

    ◇  ◆  ◇

「んーっ」

 急を要する事柄をあらかた片づけた所で、両手を天井に向けて大きく伸ばし、すっかり凝り固まった身体を軽くほぐす。同時に内心で、まるで仕事と生活に疲れた中間管理職みたいだと自嘲する。やれやれ、これでも一応10代のはずなんだけどなあ。

「コーヒーでもいかがですか。律子さん?」
「……へっ?」

 そんな私に声をかけてきたのは音無小鳥さん。我がプロダクションの先輩事務員さんである。年齢は……いちおう20代としておこうか。私よりやや小柄で、ショートカットと笑顔がとてもよく似合う、どちらかというと歳不相応なくらい可愛らしいイメージの持ち主だ。

「え……いやそんな小鳥さん。それじゃ申し訳ないです。私が淹れますよ」
「いいのいいの。ついでだから」

 それでいてちっとも先輩風を吹かすことなく、細やかな気配りも欠かすことがない。おそらく彼女の存在がなければ、とっくに私はここから逃げ出していたことだろう。

「ところで美希ちゃんのコトだけど、さすがの律子さんも、ずいぶんと手を焼いてるみたいね」
「やっぱりそう見えますか、小鳥さんにも」

 目の前に置かれたコーヒーに手を伸ばそうとした瞬間、すばりと痛い所を切り込まれ、私は苦笑いを浮かべながら応じてしまう。まったくこの人にとっては、大抵の事はお見通しだろうなあ。

 ひょっとしたら私なんかより彼女の方が、よほどアイドルに向いてるんじゃないだろうか。だけど社長にアイドルやってくれないかと泣きつかれた時、遠まわしに彼女にそう水を向けてみたら、あっさりと否定されてしまった。

 ──とてもじゃありませんが、ステージで歌える度胸なんてありませんよー
 ──もう絶対に律子さんの方が向いてますって
 ──この私が保証しますからっ

 まるで自分が普通で、私は普通じゃないと言われた気もするが、たとえそういう台詞でも彼女が口にすると不思議な説得力があった。こういうところが人生経験の差なのか、あるいはもって生まれた資質なのかはよくわからないのだが。

「ねえ、たまには私といっしょにどうかしら? 軽くドライブがてら、お夜食でもしながらお話の続きでも」

 ところがである。コーヒーを飲み終えた頃になって、その小鳥さんからデートに誘われてしまった。

「この時間にですか。でももう、終電も近いですし」
「その点は心配ないわ、私の車で送ってあげるから。もちろんアルコールは無しで。それでいいわよね?」

 そう言いながら、すでに小鳥さんはてきぱきと自分の机の上を片付け始めている。どうやら声をかけられた時点で、すでに彼女にとって私たちがいっしょに出かけるのは、もう確定した未来のようだった。

    ◇  ◆  ◇

 そんな感じで結局、半ば小鳥さんに押し切られる形で出かけることになった。戸締りを確認した上で、二人で無人の事務所を後にする。廊下には申し訳程度の蛍光灯が一本だけ灯り、くすんだコンクリートの壁やくたびれた床をぼんやりと照らし出していた。もしかすると今の自分も、小鳥さんにはこんな風に写っているのかなと思うと、少なからず凹んでしまう。

 薄暗い階段を降り、事務所の入ったビルから少し歩くと、プロダクションと契約している猫のひたい程度しかない有料駐車場がある。その一角にポツンと置かれた乗用車が、どうやら小鳥さんのものらしかった。普通のタクシーなんかと比べるとやや小さめな、それでいて妙に角ばったラインで構成された真紅の車。かろうじてフロントグリルに、日本最大の自動車会社のロゴが鈍く輝いているのが見て取れるくらい。

 少々意外な感じだった。てっきり小鳥さんのことだから、今風の丸っこい軽自動車か何かだとばかり思い込んでいたのだけど。いやしかし……何かがおかしい。なんだろう、ざわざわする。さっぱりわからない。このなんとも形容しがたい奇妙な違和感の正体が。

「さすがに新車を買うのは気が引けてね。中古の、それもかなりの年代モノなのよ」
「そうなんですか……」

 そう言われて改めて見直すと、確かに80年代の香りただようレトロなスタイルのようにも見えてきた。しかし私にはそれが車というより、むしろ凶器か何かのように感じられる。もちろん理屈じゃない。長年メカと慣れ親しんできた間に培われてきた、ある種のカンのようなもの。それが先ほどから耳元でしつこく囁き続けていた。

 ──この車はヤバい。

 断るべきだろうか。しかしここまで来て小鳥さんの好意を下手に踏みにじるようなマネもできないし。などと悩んでいる間に、さっさと小鳥さんが助手席のドアを開けてしまう。

「ささっ、どうぞ座ってください」
「は……はあ」

 結局、まるで何かに包み込まれるような感触を覚えながら、腰を助手席へと下ろす。外見のわりに車内は意外なほど広々としていた。ピンクのシートカバーなんかはいかにも女の子って感じ。それにセンターミラーには、なにやら小さな人形らしきものがぶら下げられてたりして。やっぱり気のせいだったのかと安堵しながら、なおも車内をきょろきょろと眺めていると、後部に座席がないことに気づく。

「これってツーシーター、なんですか。まるでスポーツカー……」

 そこで言葉を飲み込む。ツーシーターとは座席、つまりシートが二つしかない車の総称だ。ファミリータイプの車が主流の日本ではめったに見かけない。例外は一部のスポーツカーと呼ばれるジャンルに属する車くらいのものだ。ごく普通の女性事務員とスポーツカー。これほどミスマッチな組み合わせもないだろう。

「別に家族を乗せるわけじゃないしね。むしろ通勤にはこの方が便利なのよ。小さくて取り回しも楽だから」

 柔らかな笑顔を浮かべながら小鳥さんから、さも取って付けたような答えが返ってきた。その間に身体がしっかりとシートベルトで拘束されていることに気づく。しかもそれは普通のいわゆる三点式、つまり左肩と腰の両端で固定するタイプではなかった。たとえば飛行機のパイロットが使うみたいな、両肩と腰の両端の4箇所でしっかりと固定する、通称4点式と呼ばれるヤツである。

 そもそもよく見ると、この助手席からして普通じゃない。座ったときの違和感からすぐに気づくべきだった。それはバケットシートと呼ばれる、半ば身体を包み込む形状なのである。強烈な横Gでも乗員をしっかりとホールドするために開発された、これまたスポーツカーに特有の装備だ。そのうえ頭上後方に、さらにありえないものを見つけてしまった。

「あのこれって、ロールバーじゃないですか。なんでこんなものまで」
「えっ、ああ、それの事か。買った時から付いてたんだけど、それってそういう名前なんだ。さすがは律子さん、メカに関しては何でも詳しいのね」
「いやあ、それほどでも……。私だってネットの画像で見ただけで、実物は初めてですよ」

 ロールバーとは、事故などで車が横転した時でも、乗員の生存空間を確保するための仕掛けである。かろうじて申し訳程度に緩衝材が巻かれてはいるけど……いやいやそうじゃない。あたりまえの話だが、たかが通勤用の車にこんなごついロールバーなんか不要だ。いやそれ以前に、こんなの装備した状態で車検が通るものなんだろうか。

 先ほどまでの違和感がいよいよ現実味を帯びはじめた。いくらなんでもこれは異常すぎる。どこをどう見ても絶対に普通の女の子が乗り回すような車じゃない。

 半ばパニックに陥りかけている私の内心を知ってか知らずか、笑顔を消した小鳥さんがセルモーターを始動する。エンジンスタート。軽くアクセルを吹かす。そのたびに聞いたこともない戦闘的な咆哮が辺りに轟く。カコンという小さな機械音。それでようやくこれが普通のオートマチック(AT)車ではなく、昔懐かしいマニュアルトランスミッション(MT)車だと気づいた。ぞくりと背筋に冷たいモノが走る。

「あの、小鳥さん。お願いですから、くれぐれも安全運転で」
「もちろんよ。まだ律子さんと心中するスケジュールは組んでないから」

 満面の笑みを称えながら答える小鳥さんのジョーク対してさえ、ロクに返事を返す余裕は私には残されていなかった。

    ◇  ◆  ◇

 結果的に私の予感はいい意味で裏切られた。MT車だというのに、下手なAT車よりギアチェンジがスムーズで、それでいてハンドリングも迷いがなく、ブレーキングにもまるで無理がない。それら全てがみごとなまでにコントロールされていて、教科書にでも乗せたいくらいの腕前。まるで淡々と日々の事務の仕事をこなす見慣れた彼女の姿そのままだった。

 車の見かけだけで彼女の事を疑った自分を心の底から恥じる。そうだよね。あの小鳥さんに限って、無謀な運転なんてするはずがない。

 いつの間にか、疾走する首都高の景色を眺める余裕さえ生まれていた。おそらく最近出来たばかりの汐留の超高層ビル群だろうか。無数の窓に煌々と明かりが灯されている。深夜もなお眠ることのない現代の戦場だ。

「……疲れきった人たちの心を癒し、明日への希望を与える存在」
「それがアイドル、よね?」

 私の独り言に、視線を前に据えながら小鳥さんが答える。

「そうだといいんですが」
「少なくともみんな、そうあろうとしてるはずだと思うけど」
「約一名、例外がいますけどね。せっかくあれだけの才能を持ってるのに」
「ひょっとして悔しいのかな、律子さんとしては」
「……」

 一瞬だけ、言葉に詰まった。そして自分でも気づかなかった想いが口から滑り出す。

「そうかも、しれません。イライラするんですよね。自分にないモノを持っているのに、それをまるで生かそうとしない美希の姿を見てると」
「人生は人それぞれだしね。マイペースな人、直情径行な人、毎日が楽しくて仕方がない人、悶々と悩み続ける人、そして──」

 そこで一旦言葉を区切ってから、噛んで含めるように小鳥さんが最後の言葉を吐き出す。

「──日々の生活に疲れ切った人たちもね」
「はい」

 言いたいことはわかる。もう少し長い目で美希の成長を見守ってあげたら、と。どれほど私がいきり立った所で、当の本人自身にその気がなければ、単なる独りよがりにすぎないのだから。

 結局のところ私は、ひとりで空回りしてる愚者に過ぎないのだろうか。

 ──賢愚は誰の中にも併存する。

 私が考え込んでいると、再び小鳥さんが口を開いた。

「せっかくだから、ちょっと運転してみない、この車。確か律子さんの免許はAT限定じゃないわよね」
「仕事上どんな車に当たるかわからないので、いちおうどちらでも運転はできますが……でもいいんですか。もしぶつけたりしたら」
「まあ中古だし、ちゃんと保険にもはいってるから、少しくらいぶつけても構わないわよ」

 パーキングエリアに車を滑り込ませ、小鳥さんは素早くシートベルトを外して運転席を降りる。一方の私が4点式のシートベルトと格闘しているのを見かねたのか、彼女が助手席のドアを開けて、外すのを手伝ってくれた。

「さあさあ、交代しましょ。実を言うと、一度でいいから律子さんの運転する車に乗ってみたかったのよ」
「でも私、あんまりうまくないですよ。免許なんてつい最近取ったばかりだし」
「大丈夫なんじゃないかな。だって事務所のみんなから『律子さんは運転が下手』だなんて話、聞いたことないし」

 どこか謎めいた微笑を浮かべる小鳥さんに背中を押され、運転席へと放り込まれてしまう。再びシートベルトで拘束されてしまうと、もう私に逃げ出す術は無い。

「さすがに運転側のシートはちゃんと身体に合わせておかないとね」

 慣れた手つきで、小鳥さんがシートのあちこちを調整してくれた。こうされると仕事で使ってる普通の車とは、座り心地も風景もまるで違うと改めて思い知らされる。

「さあ、どこにでも自由に走らせてくれていいわよ」

 代わりに助手席に乗り込んだ小鳥さんが実に楽しげだ。

「どうなっても知りませんよ?」
「あら、律子さんとなら、心中しても悔いはないわ。むしろ本望、みたいな」
「そういうことは彼氏にでも言ってください」

 半ばヤケになりながら、一度左足でクラッチペダルを深く踏み込み、シフトレバーをバックからニュートラルへ。次にブレーキペダルに踏みかえて車のキーを捻る。嫌になるほど快調にエンジンスタート。そういえばMT車なんて教習所以来、走らせたことなかったかも。そんなことを懐かしく思い出しながら、少しだけアクセルを踏み込みながらシフトレバーを1速に入れ、そっとクラッチを操作する。

 ──ガガッ。

 次の瞬間、イヤな音を立ててエンジンがストップしてしまう。

「あ、あれえ?」

 おっかしいなあ。久しぶりのMT車だったから、半クラッチの感覚が鈍ってるのかな。ギアをニュートラルに戻し、もう一度キーを捻ってエンジンを再スタートさせる。先ほどよりさらに慎重にアクセルとクラッチを操作──。

 ──ガガガッ。

 再びイヤな音が響き、エンジン停止。全身から冷や汗が吹き出す。ずいぶん苦労して習得したはずのMT車の感覚がこんなにまで鈍ってるとは思わなかった。

「ああ、言い忘れてたけど、この車のクラッチって、普通のより遊びが少ないらしいの。発進時にはもう少しエンジンを吹かし気味にして、そっとクラッチをつなぐのがコツよ」

 苦笑いを浮かべながら、小鳥さんがそんなアドバイスをしてくれる。クラッチの遊びが少ない、ねえ。まあそういうことなら。

 3回目の挑戦。さっきよりアクセルを少しだけ踏み込んで、まるで夜中に霜が降りるかのように慎重にクラッチに力を加えていく。ほんの少しだけエンジン音が下がる。そこでさらにアクセルを踏み込んでエンジンに力を与えてみた。

 ようやく車が動き出す。およそスムーズとは言い難い発進だったが、エンスト連発という屈辱だけはなんとか回避できたようだ。内心でほっとしながら、パーキングエリアの出口へ向かってハンドルを──。

「うわっ!」

 とっさにブレーキを踏み込む。タイヤが短い悲鳴をあげる。危うく横転する所だった。ほんの少しハンドルを切っただけなのに、車はとんでもない方向を向いてしまっている。

「な……なに、このセンシティブな車……」

 見かけによらず、いやむしろ見かけにふさわしい、とんだじゃじゃ馬じゃない。というか今まで小鳥さんは、こんな車を鼻歌交じりで運転してたのか。

「ふ、ふふ」

 体内から何かがふつふつと湧き上がってくるのを自覚する。面白い。とっても面白い。久しぶりにワクワクする。いいじゃない、受けて立つわよ。扱いにくいメカをあたかも自分の手足のように自在に操ってみせる。これぞ醍醐味じゃないの。

 それから何度かパーキングエリアを周回し、おおよそのクセを把握してから道路へと復帰する。3速、4速。さすがに小鳥さんのようにはいかないが、シフトチェンジのコツもしだいにつかめてくる。

 それやこれやで首都高をしばらく流してる間に、ハンドルやクラッチのセッティングの意味がしだいに呑み込めてきた。確かに素人にはこのハンドルやペダルは敏感すぎて扱いにくい事この上ない。だけど最小限の動作で素早く自分の思い通りに走らせるには、これは理想的なセッティングなのではあるまいか。

 さらに走らせているうちに気づいたのだが、この車は今どきめずらしいFR(後輪駆動)車だった。FF(前輪駆動)車は意外にカーブでのアクセルワークが難しいものだが、この子はその手の心配がほとんどない。よほどのオーバースピードでカーブに突っ込んだりしない限り、みごとまでに前輪も後輪も路面をしっかりくわえ込んで、容易に離そうとしないのだ。

 こうして慣れてみると、これほどまでに安心できる車は初めてだった。今度こそ確信する。これは絶対にただの乗用車などではなく、純粋に走りを楽しむための車。正真正銘のスポーツカーなのだということを。

「どうです、カワイイでしょ、この子も」
「ええ、とてもいいですね。小鳥さんに返すのが惜しくなってしまうくらい」
「律子さんなら、きっとそう言ってくれると思ってたわ」

 助手席の小鳥さんが満足そうな笑みを浮かべた。

 それにしてもと改めて舌を巻く。この扱いの難しい車をあそこまで完璧にコントロールできるなんて。きっと最小限の力を加えるだけで最大限の効果をあげる術を完璧に心得ているのだ。

 あれ、ちょっと待てよ。

 扱いにくい車。それを手際よく動かして見せる術。それってもしや、いや間違いなく、今の美希に対して私が求められていることではないだろうか。

 ひょっとして小鳥さんは、私が必要以上力みすぎてることに気づいて、さりげなくそれを教えるために、こんなことを……?

「小鳥さん、ひょっとして今夜のドライブって、もしかして……?」
「別に何もないわよ。ただ律子さんとご飯を食べたり、おしゃべりしたかっただけ」

 ニコニコと笑いながら、小鳥さんはさらに言葉を紡いでいく。

「仮に律子さんに何か得ることがあったとしても、それはあくまで貴女が賢いからだと思うわ」

 あまりの恥ずかしさに、思わず穴掘って埋まってしまいたい気分に襲われる。

 何かを成すべき時に遠くを見るか、近くを見るか。賢愚を分けるのはそれだけだ。確かに私は見失っていたのかもしれない。言うまでもない事だが、美希を始めとする所属アイドルたちを育て上げること。それが私たち裏方に課せられた使命である。なのに私は美希に自分の命令を押し付けることばかり考え、そんな本来の目的さえ忘れかけていた。

 ──賢愚は誰の中にも併存する。

 もう一度、美希とよく話し合ってみよう。それに彼女はまだ中学生なのだ。まだまだ時間はたっぷりある。稀有の才能と無限の可能性をむざむざ潰さないためにも、何よりまず彼女自身を大切に育てなければ。

 私が新たな決意を固めていると、時計を見た小鳥さんが大声を上げる。

「あらいけない。そろそろ時間が押してきたみたいだわ。悪いけど次のパーキングエリアでもう一度交代してくれる?」
「あ、はい。わかりました」

 後ろ髪を引かれる様な思いを感じながら私はうなずいた。もともとこれは小鳥さんの車なのだ。拒否権があろうはずはない。

    ◇  ◆  ◇

「ちょっと急がないといけないかな……」

 席を交代し、再び小鳥さんが運転席に座るなり、エンジンがさらなる咆哮を上げる。カコカコンと、まるでジョイスティックのように軽々とシフトチェンジ。まるでレースのようにタイヤが悲鳴を上げ、あっという間に高速に合流する。先ほどまでの小鳥さんとはまるで別人だ。

 この時間帯だと、車の流量こそかなり少ないものの、巨大なトラックがかなりの割合を占めている。そこをまるでゲームか何かのように小鳥さんは疾走していく。

 紙一重でトラックの脇をクリア。ハンドルをほとんど動かすことなく、その鼻先へと強引に割り込む。サイドミラーにトラックのヘッドライトがギラリと光る。だがそれも一瞬。再びエンジンが吼えると、見る見るうちにトラックは引き離されていく。いやでもここ、なんかカーブの進入口っぽいんですけどっ!

 次の瞬間、後輪がグリップを失い横滑りする感覚。このままじゃ高速の外壁に叩きつけられるかも。一瞬制御を失ったかと青ざめるが、小鳥さんは涼しい顔だ。細かくハンドルを操作しながら、右足だけでアクセルとブレーキを同時に踏み込んでる。もしやこれがあの伝説のテクニック、ドリフトってヤツか──っ!

「そんなにビクビクしなくても大丈夫よ、律子さん。まだ本気の半分も出してないんだもん」
「いやもう充分ですからっ。充分堪能しましたからっ!」
「ダメよお。ラストオーダーまでもう15分くらいしかないんだし。この音無小鳥、律子さんと私の食欲を満たすために、何が何でも間に合わせてみせるわよー!」
「でもその前に命を落としたら……」

 ぬうっ。目前に巨大なタンクローリー。私たちの目の前に壁のように立ちふさがる。

「そんな程度でこの私を止められるとでも。甘く見ないでくださいねっ」
「ちょ、ま──いやあああああああああーーーーーーーーっ!」

 ──賢愚は誰の中にも併存する。

 すっかり変貌を遂げてしまった小鳥さんの横顔を見つめながら、私の脳内ではそんな言葉がいつまでもリフレインし続けるのだった──。

 (『ステージ3』へつづく)
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おもに百合(GL・ガールズラブ)な小説と周辺情報を公開しています。最近はコミPo!でオリジナル百合4コマも。現在は「けいおん!」、「魔法少女まどか☆マギカ」とオリジナル。カプ傾向は澪梓、憂梓、恵和あたり。あと、ほむほむは百合。
このブログはリンクフリーですが、相互リンクはお受けしておりません。ご了承くださいませ。
注:管理人の名称は「あっとあとみっく」が正式ですが、ごくまれに「藍」と名乗ることもあります。

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