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『ドルチェメンテ・グリッサンド』(けいおん頂き物SS)

みなさま、ご無沙汰しております。
久しぶりにけいおんSS(預かり物ですが)をお送りいたします。
お題は『ドルチェメンテ・グリッサンド』。
7月2日はムギちゃんの誕生日ということで、なんとというCP。

おっと、「なあんだ、唯梓や律じゃないのか」と思ったそこのあなた。
まあそう言わずに。だまされたと思って読んでみて下さい。
基本は律ですが、ムギちゃんのわがままにが一晩だけ付き合うという感じですから。

そしてなにより目からうろこがぽろっぽろと落ちることを保障します。
約20KBというSSとはもう言えない長さですが、
それを感じさせない濃密な2人のやり取りに酔いしれることでしょう。
でもって読了後に「もアリだな」と思わされてしまうのですよ。

ところで作者のユリアさまからは、
本SSをはじめとしていくつかのSSをお預かりしてきましたが、
ついに!ついに!!ついに!!!(しつこいw)
ご自身のページを立ち上げられました。

 ユリア・Kのページ

pixivのため会員IDが必要ですが、こちらでは読めない艦これ1B禁SSや、
今後けいおんのSSを連載する計画もあるとか。
もしpixivの会員になっていない方は、
これを機会に入会しておくのもいいかもしれませんね。

すいません、前置きが長くなりました。
とにかく読んでみて下さい。
必ず他の作品も読みたくなりますからw

それでは、お楽しみくださいませ~。




 『ドルチェメンテ・グリッサンド』



「おはよう、マーシー」
わたしは今日の長旅に連れだしてくれる「相棒」に声をかけた。
いつものわたしの相棒はトライトン。そしてシェルキー。
でも今日は違う。
このクラシカルで背の低い子。

メルセデスという名はダイムラーの創始者の一人であった
ゴットリープ・ダイムラーとヴィルヘルム・マイバッハの友人で
資金支援もしていた、エミール・イェリネックの愛娘であった人の名前。
玲瓏な美しい方で、彼女自身は車には特に生涯関わらなかったというけど、
この名前はいまや世界に数ある車のブランドの中でも、
様々な嫉視や嫌味も浴びてきても、
世界最高の高級車としての地位を今なお保持してる。
車にかぎらず女性名をつけるのは、
西欧ではごくあたりまえの伝統。
日本でも最近はかつての軍艦や城を
女性化したムーブメントがあると聞いているわ。
いずれも機械を扱うのが主に男性の仕事で、
扱いづらく整備も制御も一苦労だったころの存在ほど、
女性の人格をあたえて可愛がるのは洋の東西を問わないみたい。
この子はもう、そんなに手がかかる存在ではなくなったころの機械だけど
(それでも一度故障するとなかなか手を焼かせるみたいだけど)、
やっぱり特にクラシカルな機械は、女性名が似合うと思う。
今日の彼女は絶好調。
形式名116036。1980年生産の彼女たちの中でも末妹のひとり。
実は、琴吹家最初のプライベートリムジンとして来た子。
ミレニアムイヤーを最後に長いこと休眠していたのだけど、
わたしと菫にとっては、
この子こそが最初に出会った車で、
そしてわたしが免許をとったら絶対に引き継ごうと決めていた娘。
父はそんなわたしの意思をわかってはいたけど、
やっぱり父とわたしがわたしの将来を巡って争った時には、
彼女の存在も半ばは人質に取られたも同然で。
しばらくは会うこともできない時期もあった。
そして、わたしが父となんとか折り合いをつけて、免許を取得した
(この時も父は試験場での一発合格を持ちだして、
わたしにハードルを課したけど、そこは斉藤たちが協力してくれて
なんとか2ヶ月後に一発合格を果たしたの、うふふ)、
あとも、しばらくは公道にはでることができなかったの。
でも、2月、入試に合格してからやっと外にでる許可がでて、
その際にずっと中庭でしか走れなかったこの子も
晴れてわたしの手で公道を軽やかに走ったの。
それは小さな自立への道をひらく
とても小さな、でも大事な一歩。
その彼女と一緒に、
今日から1泊2日で、小さな旅にわたしたちはでる。
大事なゲストを、一人お迎えして。

彼女がゲストでなく、これからも道無き道をともに歩いていける
戦友になれるかどうかも、知りたくて。

燃料は満タン。それでもどこかで給油しないと
目的地にはたどり着けないかもしれないけど。
満ち満ちにつまったエンジンルームだけに、夏場は苦手な彼女だけど、
今日は吐く息も白い陽気なだけに元気そのもの。
低い落ち着いたエンジン音とクラシカルなルックスは、
今日も彼女のうちにある信じられない個性を少しも伺わせない。
もちろん、今わたしに彼女のすべてを解き放つだけの腕はない。
だから今日は、レディとしての彼女に
エスコート役を務めてもらうつもり。

わたしの大事な友達、
そして大事な友達の大事な恋人、
そして大事な創作仲間。

そして・・・。
わたしの中に秘めやかに居続ける、姫であり、王子である人との。

車内はチリ一つなく掃除できてると思う。
菫にも手伝いをお願いして、カーペットも標準のゴムマットの上に
ベルベティ・トワイライトのマットを敷いてコーディネート。
ベージュ色のベロア素材のファブリックも、
シートごと一度外して水洗いして
一日掛けて乾かしたから、今日は眠れるくらい気持ちいいと思う。
木目パネルもきっちり艶をだして、顔がうっすら映るくらい輝いてる。

うん。
これなら心配はいらない。
季節もあって心配だった目的地への道も、
今日は通行止めは解除されて問題なく行けることは確認済み。
暖気をすませエンジン音が一段さがったところで、
わたしは彼女に乗り込んだ。
いつもどおりの、ソリッドなドア音が静粛さを連れてくる。
トランクには、 着替えと最低限の化粧品とお財布とライセンス。
テルマ&ルイーズにはとうてい及ばないにしても、
ちゃんとの、待ちに待ったふたり旅。

アクセルペダルの軽快な吹き上がりを確かめると、
わたしはオートマチックミッションを2速にいれた。

今日は見送りも断ってる。
菫には1時間前に出かけることを告げておいて。

わたしは朝の5時に、屋敷から、彼女を滑り出させた。
凍てつく街から、雪に閉ざされたあの地にむけて、
まずはちゃんを迎えにいつもの駅まで。
ちゃんには直前になってから車で行くことをつたえた。
ちゃんたら半信半疑の体で、
てっきり斉藤か誰かが一緒なのだと思い込んでたふうだけど、
わざと誤解させたまま。
車の車種もなにも伝えてなかったから、
わたしが着いてから3分後に姿を見せた、
ちゃんの顔はほんとうに面白かったわ。


そりゃそうだよ。まさか、
”純白のメルセデス”と一緒に
ひとりでいるムギなんて想像してなかったから。
「ムギ、どうしてこんな車」
私は思わず聞かずにはいられなかった。
私には、ボンネットのエンブレムの三ツ星から、
古そうなベンツだということくらいしかわからない。
よく磨きぬかれたクラシカルなクロームバンパーが、
ライトの周りだけ二重になっていること、
そしてベンツなのに右ハンドル。
それと車内に組み込まれた、これだけはなんだかひどく浮き上がって見える
ナビゲーション以外は、私が生まれるよりずっと前の車の図鑑でしか
見たことのないような、木と布が軸となる世界。
椅子が大きく座り心地はものすごくよくて、
外靴で入ってしまうのが気まずく思えるくらいに
綺麗に掃除されている車内。
「うふふ。わたしが生まれる前より、琴吹の家で使っていた車なの。
お父様にお願いして譲ってもらったの」
「じゃあ、いまはムギの車なんだ」
「名義も変えてもらったの。
ただ、当分の間自分では乗り回すつもりはないけど。
いずれ大学をでたあとは、自分で管理して
整備や保険も自分で払うようにするつもり」
すごく大ぶりの助手席に身を沈めると、
なんだか自分まで典雅に振る舞う必要を感じる。
そんな作法学んでない私では、
とりあえず借りてきたネコのように座っているしかない。
でも、隣にいるムギは至って優雅そのもので、
車に踊らされている雰囲気はみじんもない。
やっぱりこういう時には育ちの違いを肌で感じる。
ベンツといえば・・・という先入観は私にもあるけど、
いかにもムギらしい
ボレロを掛けたシックなブラックのワンピースドレスが、
隣に座る私どころか、ガラスを通す通行人の目をも奪っている。
ところでムギ。
私を助手席にエスコートしたあと、
当たり前のように運転席に乗り込んだ親友に。
なぁに、ちゃん?
運転士さん、いないの?
いないわよ、わたしが運転するから。

ムギが免許を取っていたという話すら聞いてなかった。
私たちのなかでは一番誕生日の早いムギ、
少しは時間の余裕はあったにしても、
それにしたっていったいいつ。
大体ムギが一人で運転して、友人を連れて旅行なんて
よく許可がでたななんて思ったりもするけど、
そっと手を添えたあとで、無駄な力をかける様子もなく
イグニッションを回す姿に、
この車がムギの手の内にあることは感じ取れる。
明らかにムギには大きいステアリングも軽快に操りながら、
ミッションのカコン、という動作音とともに
ベンツは駅前の小さな広場から抜けだした。

ムギの走りはごく淡々。
こんな大柄な車なのに、少しも威張ったり無理をさせる気配もなく、
自然にゆずるポイントは譲りながらも
周りから遅れをとることもなく。
とても若葉マークをぶら下げている車の運転じゃない。
はっきり言って父より安心できるくらい。

ごくわずかに並走から路面状態になっていた鉄道と別れ、
やがて高速道路のランプウェイが見えてくる頃、
やっと街にも陽の光が差してくる。
私が眩しさにバイザーを下ろすのに、
ムギは気にする様子もなく、
なんのショックもなく車を加速させて高速に向かう。
当初はムギの家族が誰か関わるんだろうと思っていて、
両親にも律にもそう説明していたから、
車に、そしてムギのスムーズな運転に
圧倒されていて疑問も喪失してた自分でも、
このまま任せていていいのかという不安が戻ってくる。
でも、
ムギはまったく迷いもなく。
ゲートを最低限の減速で駆け抜け、
そのまま車を加速車線に乗り入れる。
どこかに設置されているらしいETCのチャイム音がして、
車が高速道路に受け入れられたのを理解する。
と、思った刹那。
車が、一瞬のカツン、というシフトダウンとともに
まるでワープでもしたかのように吠えた。
そう、吠えたとしか形容できない
とんでもない加速。
あっというまに本線に飛び込んでいくと、そのままなんのストレスもなく
意地悪く合流車線をふさぐように動いてきた
ワゴン車を進路も揺らさず追い抜き、その前に滑りこむ。
シートベルトはちゃんとしていたのに、
それでもシートにたたきつけられるって、こういうことなんだ。
あまりの豹変に硬直していた私の隣で、
ムギは淡々と車を自然に減速させ、本線の速度に追従して、
お行儀よく左側の車線におさまる。
・・・なんだったんだいまの。
「澪ちゃんごめんね。いまのワゴン車が
ちょっとこっち側にでてくる気配を感じたから、一気に行っちゃった」
行っちゃったって。
いまのはこんなサルーンの、
しかもこんな旧型車の加速じゃない。
それをしかもごく衒いも緊張もなく。

やっぱりムギは底がしれない。
こんな車、免許とりたてくらいで
普通に乗れるドライバーなんてそうはいないんじゃないだろうか。

なのに私の親友は。

まあでもいいか。
これなら、信頼していけそうだ。

私は、最初のパーキングエリアに寄ってもらって、
ずっと着たままでいたダウンを脱いだ。
ベーカリーによって、かるい朝食をふたりでフードコートですませる。
まだ朝早く、平日なこともあってPAは一番人の少ない時間。
そこで、車の由来を教えてもらってまた呆然。

・・・なるほど、そんな車だったとはね。

ともかく、もうきょうはムギに全部委ねる。
私をこの突然の旅行に誘った、
ムギがすこし思いつめた声をしてたのはさすがに気づいてた。
この前のこともあったし。
今日明日はとことんまで、
この軽音部の魔法少女の魔法に、
かけられていようって。
なによりも、
普段はほとんどわがままも自分の希望も口にしない
ムギのお願いなんだから。


今日はマーシーったら、ほんとうに絶好調。
さっきの急加速も、昔斉藤がやってくれたときの
あの鋭い出足そのまま。
オーバーホールしたサスペンションも、
クラシカルベンツの魅力でもあって、弱点でもある
鋭いミッションの動作も完璧。
またしばらく休眠を余儀なくされちゃうのが残念。
やっぱり、入学前に
今度は5人でどこかに行こうかしら。
そんな思いにもとらわれるわ。
そして、澪ちゃん。
もっと心配したり怒られちゃうかもと
内心ちょっと覚悟してたんだけど、
不思議に今日の澪ちゃんは、
ちょっとした最初のワタワタ以外は、
落ち着いてドライブを楽しんでくれてるみたい。
朝はわりに小食なのに、
名物のアンパンとミックスサンドイッチ、
わたしよりも早くペロリと食べちゃってたから。
走りだしてからあとも、しばらくは
ナビゲーションのオーディオユニットで
ラリー・グラハムやレッド・ツェッペリンの曲を聞きながら
取り留めもなく話しかけていたんだけど、
1時間半くらいかな?たったところで
とうとうゆっくりと眠りにおちて。

同乗者が眠ってくれるのは
信頼の証だと斉藤からきいたことがある。
わたしはやっぱり不安も感じていたんだけど、
「とにかく基本をまもりましょう、お嬢さま。
そして必要なときには機敏に対処する。
それが済んだら目立たない運転にもどる。
これが信頼をえるコツです」
その通りだったみたい。
あとは、わたしが不安をみせないこと。
澪ちゃんに合格点はもらえるのかしら?
わたしも長時間の淡々とした運転で、少し疲れも自覚したので、
車が海沿いの巨大な橋を通過する区間のPAで
次の休憩。
眠ったままだった澪ちゃんに声をかけて、
「録音」もして、それからここの名物の足湯。
ふたりでちょっとパシャパシャ遊んだりもして、
リフレッシュしてから、また東へ。
まだ行程の半分くらい。
ここからが頑張りどころよ、琴吹

澪ちゃんは申し訳無さそうだったけど、
澪ちゃんが寝てくれているのはむしろうれしい。
時々ちらりと目をむけると、
あの綺麗な睫毛が少しずつ動いているのがわかる。
澪ちゃんは寝顔がすごく綺麗だから。
寝言もなく、寝息もおだやかで。
さすがにわたし達の中で一番の美人さんだと
心からそう思う。
そして。
この人は、すでにりっちゃんのものだってことも。

そのことを自覚した時、
やっぱり胸が軋むのを感じる。
わかってはいるし、
りっちゃんが告白をへて
澪ちゃんと一緒になったのはわたしもうれしい。
わたしたち4人―いまは一応梓ちゃんは除外しておくと―、
やっぱり一番、不安なのは澪ちゃん。
できることが一番多い人だから。
わたしたちは、どんなにがんばっても、
「わたし達として」まとまっていない限り
おそらく音楽では生きていけない。
唯ちゃんはわずかに可能性はあるけど、
ひとりでシンガーソングライターとしてやっていくつもりは
おそらく唯ちゃんにないし、なによりも無防備すぎて危ういと感じる。
わたしも現実を何も知らないわけじゃないから。
りっちゃんはスタジオミュージシャンとかで
おとなしくしてる人じゃない。
そもそも音楽自体、りっちゃんにとっては
わたし達をつなぐ鎹でしかないんだから。
そしてわたし。
自分の才能には期待はしていない。
わたしは、いまのままではよくてもスタジオミュージシャンか
アレンジャーみたいな立場に落ち着くしかないだろうと思う。
もしわたしに才能があって、それが目を覚ます時があるとすれば、
それはきっと、
梓ちゃんをふくめた5人がずっとまとまっていられたとき。
だから、あの4人のためになら、
わたしはなんだってしてみせるつもり。

その中で。
たったひとり、今すぐにでも芸能界なら、
そしてそれほど時間をまたずに音楽界でも独り立ちできそうなのが、
秋山澪。
この、小さな空間で
わたしにすべてを委ねて眠っている、わたしの親友。

わたしは父のもとを離れたい。
いずれは戻る運命が待っているにしても、
わたしは本当の限界を迎えるまでは、
放課後ティータイムの時空を守りたい。
そう思っているから。
わたしがわたしらしくいられる場所は、
わたしたち5人のいる場所しかないもの。

だから。

渋滞もまったくないまま、車はいつのまにか
荒れた路面の東名を越え、快適そのものの新東名に入っていく。
この子の特徴的なサスペンションが抜群の働きをして
車は滑るように、まるで空気でできた絨毯が空をとぶように
どこか非現実的な走りをみせる。
澪ちゃんの眠りは深いままで。
でも起きていてもきっといまは何も話せなくて。
ほんの小さな神様の意地悪と、恵みに感謝しながら、
わたしは制限速度を守ってひたすら東へ進む。
水分は調整してたし、エアコンのお陰で少し喉は乾き気味なくらい。
それを誤魔化すために、
わたしは自分たちの歌を小声で歌う。


ムギの歌声が聞こえる。
「ときめきシュガー」。
私が歌うとどこか妙な迫力を帯びるこの曲も、
ムギのアカペラだとひたすら可愛らしく繊細で。

ムギにもっと歌ってもらえばよかった、
そんなかすかな後悔が胸をかすめる。
あの歌声は、
私たちだけの宝物ではあるんだけど
―ハニースウィートティータイム以外は―、
でも、それでも。
いまはこの声は私だけのものなんだ。
その安堵感と、独占欲の中で、
私はまた自分が眠りに落ちていくのを感じる。


長かった高速道路の旅がおわり、
だいぶ富士山を大きく見られるようになってきた辺りで
マーシーを一般道に下ろした。
国道ナンバーをもってはいるけど、
いままでと比べるとだいぶ古くなり荒れてもいる道路で、
さすがのマーシーでもいなしきれない地面からの入力で、
澪ちゃんがとうとう目をさます。
「あれ、一般道に降りたんだ・・・って、もうお昼前なのか」
「うん、この分だとチェックインには少し遅れそう」
電話すればいいだけだけどね。
今日の泊まりはわたしたちだけらしい。
ふだんはオフシーズンでもほとんどの日で
複数の泊客がいるあの秘湯も、
数日前のまとまった雪で
さすがに交通状況がわからないときに
予約をいれるひとはいなかったみたい。
距離的にはもう9割を超えたけれども、
ここからが一番根気のいる区間。

ひさしぶりに鉄道と出会った街でガソリンをいれて、
国道からはすぐ東の道路をひたすら北上。
途中見かけたコンビニに寄ったりもしながら、
取り留めもない話をしつつ、線路と川にそった道を
路面には注意しながら進んでいく。
ここからは凍結の可能性もある場所。
スタッドレスタイヤは履いていても、信頼をおけるようなことは決してないから。
この子はトルクがものすごいから、ABSがあっても、
うっかりアクセルを開けばたちまち横滑りから壁に吸い込まれかねない。
山々は北に進むに連れて急激に白さをまとっていく。
澪ちゃんがまた言葉少なくなってくるころ、もう一度国道に合流した道は、
程なくして有名な寺を擁する山を西に巻くようにして、
いよいよ除雪された雪がまだ残る、
山間の県道に入っていく。
リラックスしてた澪ちゃんが座り直す。
こういう区間はわたしも経験が少ないから、
ほとんど交通量がないのを幸いに、制限速度よりも必要に応じて下げながら、
それでも澪ちゃんがここまできて車に酔ったりしないように、
大きな舵角が常に要るマーシーをなだめつつ走って行く。
役場を越え、閉鎖が続くまばらな施設を横目に、
時折規制がかかる区間でじっと信号を待ったりすること1時間。
やっと、いくつめかのトンネルを抜けたその先で、
人工湖と懐かしい雪国の光景が広がった。
此処から先は、車では先に進めない集落。
そして秘湯と呼ぶに足る素敵なお湯のある一軒宿。
武田信玄の隠し湯とも、称徳女帝の隠れ家ともいわれたころの
湯を今に伝えるこの場所。

ここが、わたしが澪ちゃんを連れて来たかった場所。
琴吹家がかつて年に一度、今の時期に来た地。

この景色をみたくて。
この景色と温泉で、
澪ちゃんと長く話をしたくて。

車を宿に預け、寡黙な御主人にチェックインの挨拶をして、
ちょっとだけ雪道をあるいて、もうひとつの町営の
温泉施設に、運動不足解消を兼ねて行く。
りっちゃんや唯ちゃんならきっと文句をいいそうな場所だけど、
・・・実は車で上がれなくはないんだけど、
澪ちゃんも少し動きたさそうだったので、ふたりで、
もうひとつの温泉施設で、新そばをお昼にいただく。
とれたての山菜の苦味と、天かすの脂が蕎麦の味をぐっと引き立てて。
今年も蕎麦のできはよかったみたいで、うれしい。
こちらは日帰りもできる施設だけど、
明日チェックアウトしてから寄ってもいいかな。
こんな日でもそれなりに地元の人達が、
のんびりと寛いでいて。
程なくして辞してから、また雪道をゆっくり下って。
途中わたしが2回、澪ちゃんが1回尻もちをついたりしながら、
宿にもどる。
なんだかんだでもう14時半。
そろそろ釣瓶落としのように日が傾いてくる時間。
せっかくの源泉掛け流しの露天風呂、
外から見られる心配のないこの季節だから、
一番安心してお湯を楽しめるんだから。

いまだったら、澪ちゃんも安心して
あのきれいな肌を晒してくれるだろうから。

改めてご挨拶をすませて、
中が相変わらず隙無く掃除されていて、
特にとりえのないことがとりえのような、でも実はすごく贅沢に
材料を吟味した建物にふたりであらためて感動をしてから。
「今年は家族じゃなくて一人できたんだな。
ずいぶんご無沙汰してたな、そりゃもうこんなに大きくもなるな。
自分で運転してきたのか、そりゃ疲れたろう。
お友達もすばるだがめんこいひとだ、今日は任せておけ」
(ほんとは方言だけど、それはごめんなさい)
というご主人の言葉に歓迎されて、
わたしたちは客室に荷物をおいて、
早速浴衣に着替えて温泉に向かうわ。
澪ちゃんが警戒心なしに裸を曝すのを、
やっぱり気にしてしまうのが、いまのわたし。


蒸気霧がたなびく人工湖。
付近も気温がさがるにつれて急激に白い靄に覆われていく。
生け垣から背を伸ばすと、
外の無粋な道路の姿が目に入ってしまうけど、
手元のことさえ気にしなければ、その先の人工湖と山間にたなびく
白い精霊たちはあまりにも幻想的。
こんな素敵な風景は、やっぱり冬にかぎるんだろうな。
萌樹の季節もいいんだろうけど、
いや紅葉もよさそうだな、でも、
私は一発でこの景色と空気に魅せられていた。
寒いはずなのに。
総石造りの湯船に広がる淡い緑色の湯に浮かぶのは、白と黒の湯の花。
「すごく滑るから、気をつけて」
律や唯じゃないんだから、とか思った先から滑りそうになるくらい
たしかにすごい。
「これでも湯船は2日に1回、外は毎日洗っているんだそうよ。
掛け値なしの源泉掛け流し、いまの時期は熱交換で温度も下げないそうだから、
ほんとうに湧いたままの、お湯」
土踏まずを意識しなおして、慎重に歩みをすすめる。
すでに靄に包まれてきている湯船には、オイルランプがともされていて、
幽幻な空間を引き立てている。
人工光がアクセントになってからこそ、この雰囲気はできているんだろうな。
そんな風に思う。
まるでステージのフォグマシンで浮かび上がる
自分たちを思い起こさせる。
日本は広いなって、陳腐なことを思い浮かべて。
「称徳天皇って覚えてる?澪ちゃん」
ああ、阿倍内親王のことだっけ。
たしか、里中満智子の「女帝の手記」の主人公。
孝謙天皇と称徳天皇という2度の即位を持って知られる。
藤原仲麻呂と道鏡というふたりの黒幕のもとで仏教支配を推し進め。
今なお評価相反する、日本女帝のターニングポイントとなった彼女のあと、
850年にもわたって女帝は生まれず、
その後も権力をふるう女帝はついに今に至るまで現れていない。
同時に、彼女の遺徳を慕う伝承は各地に残されてもいて、
複雑な影を藤原政権の時代に残している。
「この地も彼女の遺徳をつたえてるとされるわ。
地名の由来も彼女がつけたんですって。
政治に疲れて、そして・・・ちょっと恥ずかしい言い伝えもあって、
この地に来た彼女は、
この温泉をひどく気に入って、8年もの間
ここに隠れていたんですって。
言葉も独特で、金田一春彦先生が、この土地の言葉は京ことばだって
言っていたそうね」
そんな伝承はどこにでもあることではあっても、
あの無骨な主人の言葉には、たしかにそんな影も感じて。
なにもかも、不思議な場所。
「そして、そんな場所に湧く、七不思議の湯、かぁ」
湯温が果てしなく魅力的に感じられる中、
さすがにバスタオルだけの姿に寒気を覚えて。
・・・心配なんかいらないか。
ここにはムギしかいないんだから。
でもなんだか不思議な感覚を覚えてもいたけど、
思い切ってバスタオルを取り去って掛けてしまう。。
それからムギと並んで、ゆったりとかけ湯。
あ・・・もうこれだけで
ここのお湯がとんでもなく特別なのがわかる。
塩素臭いとか論外な問題と全く無縁の、、
ぬめりのある柔らかい、そうとんでもなく柔らかい湯。
かすかに硫黄臭を感じはするけど、
このお湯に触れただけで、長時間の乾燥にさらされていた
肌が一気に瑞々しさを取り返していくのがわかる。
なるほど・・・これはすごい。
ほんとそれしか思いつかない。
すでに齢40を超えていた女帝が
長逗留もするはずだと思う。
そして・・・
10人は普通に入れる湯船。
そこにふたりっきりの特権で、
うんと身体を伸ばして浸かる。

・・・

なにも言葉が出ない。
いままで入った温泉ってなんだろうっていう、
全身にまとわりつき肌の隙間という隙間を
全て埋めていくような、ひたすらに柔しい湯。
汚れを取り去るというより、
まるで上質の海綿のように、全身の汗腺に染みこんで吸い取って行くような、
そんな錯覚すら感じる。
だれもいないのをいいことに、
髪をまとめていたバスタオルも取り去って、
ちょっとだけ湯を髪に当ててみる。
お湯の流れが髪から後頭部に染み渡り、
まるで喜んでいるかのように艶が蘇るのを感じる。
なにこれ、なにこれ。
こんなお湯に、普段から入れているひとがいるんだ。
そんなことに理不尽な嫉妬をしたくなるような。

気がついて目を向けると、
ムギもうっとりと湯船で身体を伸ばしていた。
さすがに髪の毛はまとめてはいるけど、
ムギはもう最初からバスタオルもつけてなかった。
寒かったはずなのに、それを意識させないくらい、
あの白い肌が上気して輝いている。
白い光のなかで舞うムギの金色の髪。
掛け値なしに、霧の中の妖精にしかみえない。
ムギが私の視線に気がついて笑ってくる。
「どう、澪ちゃん?」
その言葉が何故かあまりにも蠱惑的で。
ついそれを誤魔化すために、
「すごいな・・・これ。唯や律、いやいや梓や憂ちゃんも連れて来たかった。
さわ子先生だって、このお湯のことを知ったら
学校放り出しても来たんじゃないか?」
「あらあら、澪ちゃん、さわ子先生に学校おさぼりさせちゃうの?」
「いや、それくらいとんでもないお湯だってことさ。
これはすごい。ほんとうにすごい」
思わず湯を腕で叩いてしまう。
水面にできる波紋すら、なんだか柔らかさを感じさせる静寂をつむいで。
湯船の下に潜った腕が、またあっというまに皮膚から温泉の成分を
染み渡らせていく。
至高って、こういうのを言うんじゃないのかな。
そんな比較できるほど温泉を知ってるわけじゃないけど。

でも。
こんなお湯なら、
それこそいつまでもいられるんじゃないかと思う。
そう思った刹那に。

え・・・?
水面を滑るように動いたムギの身体が
次の瞬間、
私の腕の中におさまった。

「・・・ムギ?」
意表を点かれて、それしか言葉にならない。
ほんとはマナー違反なんだけど、
ムギの金色の髪が、
淡いクリームの光に満たされた、緑色の水面に広がっていて艶かしい。
そして、
お湯の中ではむしろひんやりとすら感じる
浮力で軽減はされている、ムギの躰の重みを受けとる。

「ごめんね、澪ちゃん」
ああ。
これはあの時の続きなんだ。
そう理解できた。

ムギの腕はもう背中に回されている。
その引き寄せる力には抗うけど、
ムギが押し付けてる質量そのものには
抗するすべもなくて。

お湯の淡い硫黄の匂いの中から
それでも伝わってくるムギの香り。
ムギの躰は胸元から上に収まってるから、
胸と胸が重なりあってもいて。
ムギの心臓の音がダイレクトに伝わってきて、
痛いほど自分の鼓動もそれに重なるのを感じて。

ムギは知っているはずなのに。
もう私が律と躰を重ねたことを。
そう思ったその刹那、
半分ほど解けてた髪の残りが開放される。

ごめんね、迷惑なのはわかってるの。
でも、
澪ちゃんの気持ちを知りたくて。
そういうムギの指が、胸の高さで結ばれるのがわかる。
ムギの躰から伝わってくる温泉の気配。
それはゾクリとくるくらいの気持ちよさでもあって。

「私の、気持ち?」
「うん」


そこまで言った時に、わたしはなぜか涙があふれている
自分に気がついた。
「お、おいムギ、どうした?どこかぶつけたのか?」
そんなことあるわけないのに、慌てる澪ちゃんの姿をみると
ますます涙が止まらなくなる。
情けない。
父様との喧嘩の時だって、いちども泣かないですんだのに。
どうして、どうしていまになって。
嗚咽にはかろうじてさせない。
そんな姿だけは絶対に見せたくない。
わたし、これでも、最後の文化祭の時以外
みんなに涙見せたことないんだから。
人前で涙は軽々しく見せない。
それは厳しくしつけられてきたこと。
一人でない時に泣いたのは、
お母様がいなくなった時だけ。
そしてあの・・・最後を実感し覚悟した時だけ。
あの時は。
・・・それなのに。
最初はあれこれ声をかけようとしてた澪ちゃんが、
言葉を捨ててわたしを抱きしめてくれる。
ずるいよね。ひどいよね。
わたしいったい何をやってるんだろう。
そう思うんだけど、
わたしの頬を伝う涙が、澪ちゃんにも届いているのに。
澪ちゃんはなにもいわず、ただわたしを強く抱きしめてくれる。
りっちゃんにもこういうことをしているのかしら。
そう思う自分が許せなくて、
そう思う自分があまりにも惨めに思えて。


さめざめと、というにもあまりにもか細い
ムギの涙。
あんなに普段はパワフルなのに、
わたしより少しだけだけど細い肩。
あんなに温かくて気持ちいいのに、
いまは悲しみで冷たくすら感じる流麗な身体。
どうしていいかわからないけど、
ムギが私を求めてるのだけはわかるから。
いまはただ抱きしめる。
律、ちょっとのあいだごめんな。
やっぱり泣いているムギを放ってなんかおけないから。


温泉の温かさに救いを感じる。
でも、それ以上に澪ちゃんの暖かさが恋しくて。
あのとき、触ってくれていた感触を思い出して、
わたしは澪ちゃんの首筋にすがりつく。
ごめんなさい、ごめんなさい澪ちゃん。
ごめんなさい、ごめんなさいりっちゃん。
こんなわたしになにができるんだろう。
こんなわたしがなにを返せるんだろう。
わたしやっぱりこの人が好きなんだ。
この人といっしょに未来を見て行きたいんだ。
理由なんかない、定義なんかできない。
でもそれは儚く強い確信であって。
永遠なんかいらない。
この人と未来を仰いで、ただ歩んでいきたいだけ。
道無き道を、いつか終末の地に辿り着くまで、
歌だけを道標にして。

だからこそ、
これ以上を絶対に求めちゃいけないことはよくわかっていて。
ならばこそ、
もう少しだけ澪ちゃんの優しさにすがっていたくて。

あさましい気持ちがきっとあったことはいまならわかる。
でも、それは決して持ち出しちゃいけない。
この豊麗な胸は、
この象牙のような美しい肌は、
この黒檀の美しい髪は、
この甘く優しく切ない声は、
この秘めやかで慎ましくてでも大胆な心は、
この人は、
わたしが独占していい人じゃないんだ。
りっちゃんを失いたくないこと、
それと同じくらい、
この人をわたしの思いで揺るがして穢してはいけない。
憎むことなどできないのだから。
愛するしかないじゃない。

いちどは思いを封じたくてあんな曲をつくったのに。
あのたったひとつだけ、アルバムには収めなかったあの歌。
澪ちゃんとわたしだけで仮歌だけをつけて、
パソコンの片隅に封じたあの歌。
他の子達と同じく大事なわたしたちの娘ではあっても、
でもりっちゃんと唯ちゃんには、
未来をまっすぐ照らすあのふたりには、
決して歌ってほしくなかったから、封じたあの歌。
あの歌は、同時に、
わたしの片思いを封じた曲。
だから残したくなかったの。
あれだけ必死になった曲だからこそ。

やっと、めちゃくちゃになっていた気持ちが収まってきた。
その間ずっと抱きしめてくれていた澪ちゃんが、わたしの変化に気づいたのか
そっと腕の力をゆるめてくれる。
緊張のせいか、思いのためか、
わたし達ふたりに刻まれた、
まるでキスマークのような赤いライン。

それは、わたしたちを縛る縄のようで。
視線に気づいた、澪ちゃんがかすかに微笑う。

「ごめんね・・・澪ちゃん」
「何を?」
「・・・何をって」
「いいよ。そんな日もあるさ」
とだけいって、澪ちゃんはわたしの瞳の端にまだ残っていた
涙を小指で拭ってくれる。

また泣きだしたくなる衝動にかられるけど、
いまはじっとがまん。
そのかわりに、
わたしは澪ちゃんに並んで寄り添った。
澪ちゃんの体温にもっと縋っていたいけど、
これ以上こんな顔をみせたくはなかったから。
「ごめんね、みっともないところをみせて。
・・・ね、しばらく・・・」
「ああ、いいさ。ムギしかいないんだから、
それにこのお湯なら、食事になるまで浸かっててもいいんじゃないか?」
自分でもそれは感じる。
あんなにひどい動揺と熱くはなくても微温くはないお湯の中にいたのに
まだ違和感はなにも感じない。
湯あたりしてもおかしくないくらいの時間、
わたしは澪ちゃんの腕の中で泣いていたのに。
でも、いまはまだなにも言えなくて。
側から離れたくもなくて。
もうしばらくのあいだ、澪ちゃんといっしょにいたくて。
思い切って言ったわがままに甘えて、
わたし達はそのあともしばらく、こうしたままだった。
靄の中に烟る、
澪ちゃんの横顔がとても愛おしくて。
わたしには言葉がなにもなくなってしまってた。


結局、さすがにそれから20分位して
お湯から抜け出す。
体重と平衡感覚が狂うほどの長湯だったけど、一度踏ん張って立ち上がると
こんな長時間なのにまったく違和感もなく、
ただ心地いい疲労感だけが身を包む。
引き締まった空気に身を晒して、
体内の熱と荒れていた気持ちを鎮める。

ムギのやつ、わかっているんだろうか。
私がどうしていいかわからなかったのは確かだけど、
それは、ムギが思ってるような気持ちからだけじゃないってこと。


部屋にもどって、火照りがおさまるころに、
夕食の時間になって呼ばれる。
ここの料理は、文字通りの山づくし。
椎茸のフライに山菜の天麩羅。ニジマスの燻製。
蒟蒻の刺し身に鹿刺し。
それに根菜の煮物、そして・・・親父鍋。
これは教えてあげない。でも、澪ちゃんがびっくりして最初は
なかなか箸を付けられなかったのはないしょ。
最後にはきれいにふたりでいただいたけどね。

それに揚蕎麦掻きと、岩清水で炊いた透明にも思えるご飯。
締めは鹿肉のお吸い物。
うふふ。美味しゅうございました。
澪ちゃんもとっても満足してたみたい。
でも一品でるたびに、律がどう、唯がどう、になっちゃったのは
もうしょうがないし、わたしも実はそう思う気持ちもあって。
でも、みんなに思うことがあるわけじゃなくて、
今日だけは、ちょっとね。

最後に蕎麦茶で少しくつろいでから。
一旦部屋に引き取って、
また少しして温泉に舞い戻る。
昼は石造りの方だったけど、今度は総檜の内風呂を経由して
木造のほう。
宿泊客は24時間(清掃時間以外)、
お風呂を使っていいのがここのすごいところ。
「いきなり外だとこの時間は冷えるから、
まずは内風呂で身体を温めなおしてからにしな」
ということで、まずは総檜風呂の方で食事の汗を流して、
体温を少しあげて。
これもすごいのよ?さらりと総檜って言ったけど、
お湯の質はもちろん同じだし、温熱2段階あるから、
汗をかく入浴も楽しめるの。
それで身体をもう一度温泉モードにして、
御付水を汲んで水分補給の用意もして、
もうひとつの露天風呂、木造風呂のほうに
身体を沈めるの、ふたりで。

振り仰げば雨のように降り注ぐ光の瞬き。
風が出て靄が吹き払われて、
ご主人いわく「今日は絶景だぞ」との言葉通りの
まるで星が手に掴めそうな光景。
今日は月はかなり遅い上弦で、
まだ美しくも無粋な光は注いできてないから
冷たい風だけでなく、空は文字通りの絶対零度の輝きを
地上に届けてくるの。

澪ちゃんも今回は最初からバスタオルを纏わないでいる。
もうすでに何度かみた裸体だけど、
やっぱり何度見ても美しいと思う。
細かく見ればちょっとお腹がゴニョゴニョはあったりもするけど、
それはわたしのほうがもっとずっと残念だし、
それにいまは食事で膨らんでるからしょうがないもんね。
ここも例に漏れず、食事の量はどうしても多くなるから、
そのことはまちがっても口にはしない。
澪ちゃんだって人間なんだから。
もしかして・・・芸能界か音楽界に身を踏み出したら
きっと節制節制で、もっと綺麗にはなるんだろうけど、
そのかわりそこにいるのは、「澪ちゃんらしさを失った」
ただの美人さんでしかないようにも、思える。
そんな予感に身を一瞬震わせると、
今度は・・・澪ちゃんのほうが身体を寄せてきてくれて。
そして、小さく頭をコツンとぶつけてくれるの。
「さっきは驚いたけど、そもそも、
ここに私だけ誘ったのはムギに理由があってだよな?
そろそろ、話してくれないか?」
旅費もタダでこんなとこに泊めてもらって、
ただ温泉だけってのもムギらしい気もするけど、
そうじゃないだろう?
うん。
そろそろちゃんと話さないといけないことだと、
さっき泣いてしまったぶん、心は決まり落ち着いてもいて。
わたしは漸く、とつとつと話し始めた。


澪ちゃんに、デビューの気持ちはあるのか。
そして澪ちゃんは先を目指すつもりがあるのか。
ムギはそう言った。
これは私にとって、解答できない問題でもある。
実のところ、非公式な接触はもうある。
・・・あのロンドンでの演奏を、
だれかが気がついたらしくて。
でも、その話が来たのは、
私一人にだけ。

ムギはやっぱり気づいていた。
それが「私」だけをターゲットにした
「私」の囲い込みが真の目的だということに。

無論こんなことに私も乗る気はない。
半数は私の外見だけが目的だということはもう見えているし、
残り半数も、私を認めているというより
いまは私を「可能性の一つ」としか見ていないことくらい
この歳では嫌でも気づくしかない。
そんな不確かな賭けになど乗れるわけがない。
私は一人で、
芸能界は問題外だし、音楽界に身を投じるつもりはない。
私は、みんなと打って出たい。
そうでないなら、最初から音楽で生きる気などない。
放課後ティータイムに未練はある。
ここで生きていきたい気持ちはある。
でも、現実はそんなに甘いモノじゃない。
みんなでなければ生きていけないと思える場所で、
みんなを私ひとりのわがままに巻き込むわけにはいかない。
もっと時間をかけて、
みんなの意思を確かめないわけにはいかない。
意思がまとまるなら覚悟はする。
でも、いまのふわふわした唯と律に、
そんな覚悟は求めようがない。
たぶんあのふたりは変わらないような気もする。
でも、
覚悟なしに私はあんな世界には歩み出せない。
唯や律のように飄々と歩く道を選べるなら、
それでいいのかもしれない。
でも・・・私はやるからには全力を尽くしたい。
一度しかない人生の一度しかない若い時間。
この全部を捧げるなら、
今みたいな「遊びが結果として高く評価してもらえる」
段階は絶対に抜け出さないといけない。
ムギにも唯にも律にも梓にも劣る才能しかないこの私が、
生きていくために努力を外すわけにはいかない。
部活じゃないんだから。

そしてそれを、
私一人だけで決められるわけないじゃないか。
まして梓には来年があるんだから。
唯や律が決めたとおりに、
放課後ティータイムを引き継ぐバンドが生まれるかもしれない。
その時に、梓がどっちを選ぶかは、
それこそ私が決められることじゃないんだ。
今は決められない、決めることでも多分ない。
まだ時間はあるんだから。

そう告げた時のムギはすごく悲しそうで。

「澪ちゃんは、自分を過小評価しすぎてる」

ムギは、いつかも私に向けた言葉をもう一度言った。

そして、続けて。

「わたしは、澪ちゃんに賭けたい。
澪ちゃんとともに踏み出したいの」


勝手なおねだりでしかないのは、
いまのわたしにはわかってる。
でも。
わたしを連れだしてくれるのは、
籠の中の鳥でしかないわたしを連れだしてくれるのは、
りっちゃんと唯ちゃんと梓ちゃん、
そして誰よりも澪ちゃんなの。
澪ちゃんが一人で出て行く気がないのにはほっとした。
わたしも気がついてないわけじゃなかったから。
だから、
澪ちゃんを奪われてしまう、澪ちゃんがひとりで
どこかに行ってしまうことがなによりも怖かった。
たいてい、スカウトには有名な、あるいは実力のある先生が
噛んでくるこの世界の現実は知っている。
澪ちゃんは韜晦してみせてるけど、
そのメンバーの中には本当に恐ろしい名前が含まれているのも知ってる。
世界で活躍する作曲家、100年に一人のボーカリスト、
世界を転戦する伝説のベーシストたちの数々、そして、「あの人」。
澪ちゃんの過小評価がなかったら、
少しでも野心があったら絶対飛び込みたくなるような名前があるのも。
わたしだったら多分乗ってしまう。
父が決して認めなくても。


ムギ。それはちがう。
ムギは琴吹家の一員だから、だれも手を出せないんだ。
ムギこそなにも・・・。


わたしだったら・・・。
だから澪ちゃんがすごく羨ましい。
澪ちゃんがそんな機会を捨ててしまうのが、
もったいないし悔しいしある意味では妬ましい。
でも、でも。
わたしはだからとても安心もしてる。
澪ちゃんが、わたしと、わたし達と手をとりあって、
世界に出るつもりになってくれることがけっしてないわけじゃない、って、
わかるから。
唯ちゃんが心配だけど、
唯ちゃんの才能を気づいてない人がいるわけはないけど、
唯ちゃんはわたしたちで守ることはできる。
周りを固めて一人であの荒波などに
けっして出させない。
でも、
澪ちゃんは、もし決めたら、
けっして振り返らない人だから。
軽音部のために一番必死だったのも、
最初はなんども躓いてすぐ座り込んでしまうみんなを、
おしりを押して叩いて前にすすませてくれたのも、
梓ちゃんがわたしたちに絶望しかけた時に、
鎹になってくれたのもみんな澪ちゃんなんだから。
それは、「放課後ティータイム」が
澪ちゃんが選んだ未来だったから。

でも、
これからは、そうじゃない。
大学だってそんなに長い時間が保証などされはしない。
わたしの後ろに焦りがあるのはわかってるけど、
長くても3年後までに、
放課後ティータイムになにか動きができるか、
それとは別の形であれ、
わたしたちが音楽で身を立てるあてができないかぎり、
わたしはまた琴吹に引き戻されることになる。
そしてもう、
二度とそこからはでられなくなる。きっと。
3年間の寮生活は、
そのための最後の猶予でしかない。
梓ちゃんが来るのを待つとしたら、
実質は2年。
梓ちゃんはあとから加わる選択をしても、
できることははじめなければとても間に合わない。
それがわたしたちらしいゆるやかな有り様であっても、
現実は委細構わず構わずちゃんとやってくる。
わたしひどいことを言ってる。
自分が囚われたくないから、
自分が外に出たいから、
みんなを不確実な未来に誘い込もうとしているのかもしれない。


そういったムギの姿は、
湯煙と白いランプの光と、
そしてなによりもムギのあの繊細な声をあわせて、
まるでローレライのようで。

ローランドの悲しい目の乙女。
Sad Eyed Lady of the Lowlands.

あの難解な詩。
あの言葉に出来ないものを言葉にしようとして必死になっている
あの世界。

いまのムギは、まさしくそんな感じで。
理性的なんだけど、なにかがはずれている。

もう一度ムギを抱きしめたくなる。
でも、いまのムギは。

そう思った時、またムギは
自分から私の胸の中に収まった。
こんどは奇襲でも何でも無く、
ゆっくりと。

ごめんね。
ムギの唇から、
その言葉がまた漏れた時。
もう私は我慢できなくて。

腕の中にいるムギの唇を奪っていた。
律の腕に抱かれた時の自分を思い出しながら。

ああ、こういうことなんだ。
そう思いながら、ムギの肉厚の柔らかい唇を吸う。

まるで覚悟か誘惑のつもりだったのか、
ムギは少しも慌てない。
ただ、少ししてから、
おずおずという感じで差し出してきた舌を、
私はためらうことなく受け入れた。
すでに律とはなんどかしてるフレンチ・キス。
合格した翌日の晩、狂ったように求め合ったあの時に、
散々交わしたあれ。
律が決して責めないだろうことをわかってるから。
私は卑怯者だと思いつつ、それでも
腕の中の妖精を幾度となく抱きしめる。

極上の湯の中で、
髪の毛を散らしてこんなことをしている私たち。
明日はお詫びに掃除を手伝わせてもらわないと。
なんてことまで考えたりする自分を殴り飛ばしたくなる。
でも、そんな理性とは別に。
私はムギが欲しくてたまらなくもなっていて。

でも、でも。

これ以上はいけない。
私には、まだ結論がだせない。
ムギの願いは、ムギの気持ちは、
叶えるためにはあまりにも大きなハードルもあって、
そしてなによりも、
律のことがあって。

でも。
なにかに火がついたのは間違いなくて。

たぶんそれは、
私とムギが織りなす
樹海の糸を紡ぐ力で。

星がなおも降り注ぐ露天風呂。
湯船から上がって全身を惜しげも無く晒したムギに、
いままではなかった特別な色を自覚する。
でもそれは、
・・・おそらくは、これからも。
でも、そういう関係こそが、
私とムギにはあっているような気もして。

風呂あがりのほてった躰で、
浴衣姿でもう一度キスを交わし合って。

そして私たちは部屋に引き取って
眠りにつくことにした。


翌朝。
山の遅い夜明け。
カーテンを開けて空と山から注いでくる
白い光の中に沈んでいる澪ちゃんの姿。
でもそれはたしかな力と存在を感じさせて。
目を慣らしながら、布団から這い出たわたしは
座椅子に身を委ねる澪ちゃんの側に歩み寄る。
乱れた浴衣を直して、
その際に触れられた場所を
それとなく愛惜を込めて触れながら、
わたしは彼女の側に寄り添う。

澪ちゃんは、イケメンさん。
自分でいった言葉を不意に思い出す。
わたしは無理を押し付けているのに、
身勝手をいって澪ちゃんを困らせてるだけなのに、
澪ちゃんは。
結局、苦笑交じりではあっても
わたしを、わたし達を受け入れて支えてくれる。
多分、それが澪ちゃんが
これからも選んでいく道なんだって、
わたしはちょっと狡い期待もしていて。
でも。
そんな、澪ちゃんだから、
きっとみんなも。

いまはまだ何も答えが出たわけじゃない。
それはわたしも聞くつもりもない。
不確かだからこそ、
自分を育てる道だってある。
迷いながら進んでいく未来だってある。
わたしは父の選んだレールを拒否した。
だから、自分で迷いながらぶつかりながら進んでいくしかない。
そして、わたしは欲張りだから、
そのためにみんなを巻き込むことを選んでいる。
いまはまだ温度差もあるし、
うまくいかない可能性のほうがずっと高い。
でも。
なにもしないで家に篭もる生き方だけはしたくない。
そのために。
わたしはみんながほしい。
みんなとともに歩いて行く合意がほしい。
わたしをみつけてくれたみんなに。
それがたった一つ、わたしが返せるものだから。
だから澪ちゃん、ごめんね。
そしてりっちゃん、こんなわたしだけど
かならず澪ちゃんは返すから、
少しの間だけ、わたしとも一緒にいさせてね。

澪ちゃんの笑顔を見ながら、
隣に座ってわたしは、
もう一度だけ手を重ねる。
この白くて長くて綺麗な指がつなぐラインに、
またメロディを架け橋にしていくために。


いつまでも若くいられるわけじゃないからこそ。
いつまでも若くいるために。

手は常に勤勉であるように
足は常に俊敏であるように
何時も強い志をもって
時代に立ち向かわんことを
お前の心がいつも明るく
お前の歌が語り継がれて
お前がいつまでも
いつまでもいつまでも
若々しくあらんことを

・・・澪ちゃんとともに。

(Fin)
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Author:あっとあとみっく
おもに百合(GL・ガールズラブ)な小説と周辺情報を公開しています。最近はコミPo!でオリジナル百合4コマも。現在は「けいおん!」、「魔法少女まどか☆マギカ」とオリジナル。カプ傾向は澪梓、憂梓、恵和あたり。あと、ほむほむは百合。
このブログはリンクフリーですが、相互リンクはお受けしておりません。ご了承くださいませ。
注:管理人の名称は「あっとあとみっく」が正式ですが、ごくまれに「藍」と名乗ることもあります。

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